鴻朧館
游月山荘

有馬温泉 月光園便り

有馬温泉 月光園よりお得な情報をお伝えします。

【有馬温泉月光園便り】有馬の名物”有馬人形筆”


 有馬温泉はあまり特産がないと言われておりますが、そうでもないようです。一番人気はやはり炭酸せんべいですが、その他にも竹細工や有馬人形筆、日本初のサイダーなども有名です。今日はその中から有馬人形筆をご紹介いたします。

 有馬の歴史でもお触れいたしましたが、有馬温泉に第34代舒明天皇が訪れた際、めでたく有間皇子を授かりました。そこからなのか有間温泉の守護神は子宝の神様とも言われております。そしてその皇子誕生を記念して、有馬の人形筆ができたといわれております。

 この有馬人形筆は、からくりが施されていて、筆を立てると頭からとても小さく可愛らしい人形が飛び出すようになっております。現在はこの人形を作っているのは有馬の中でも西田筆店のみとなってしまっております。当館でも鴻朧館と游月山荘の両館で販売しておりますが、この西田筆店から入荷しております。

 またこの有馬筆は人形のからくりだけでなく、模様も有名です。篠竹(しのだけ)の筆軸に色とりどりの絹糸が巻かれ、その模様が美しいことでも有名です。この模様はまったく機械を使わず、全て手巻きで行われ、無数とも思えるほど柄のバリエーション多いのですが、基本は「市松」「矢絣」「青海波(せいかいは)」「うろこ」の4種類しかないそうで、全て基本柄からの応用だそうで、驚きました。

 このからくりを施した人形筆は全国で有馬にしかないそうで、観光に来られたお客様だけでなく、遠方からの注文も多いようです。お店は阪急バスターミナルの横の坂を少し登ったところにございます。お店を訪れると、有馬人形筆の作製現場をみることもできます。

平成19年5月19日 有馬温泉月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】秀吉と有馬温泉

 有馬温泉と太閤秀吉との関係はあまりにも有名ですが、豊臣秀吉の時代は有馬温泉の歴史の中では、かなり新しいものとなります。震災以前から「有馬には太閤さんの湯殿がある」と言われておりましたが、震災の復旧の際にその湯殿跡が見つかり、現在は太閤の湯殿館として営業されております。

 仁西の有馬温泉復興以後、泰安の日々が続き、室町時代から鎌倉時代の戦国時代に入っても、有馬温泉に入湯に来られる人は減らず、世の中の混乱も有馬の繁栄にはたいした影響はなかったとされています。

 仁西の有馬温泉復興から3百余年、平和だった有馬に動乱の期がやってきます。1528年に大火事があり、有馬は焦土となります。また1545年には善福寺後方の落葉山に城を構えていた三好宗三政長に、三木城主別所豊後守が攻め入りました。そのときの余波を受けて大打撃を受けてしまいます。そして1576年の大火事と復興する間もなく壊滅的なダメージを被りました。

 一方明智光秀を打ち破り、天下統一の地固めにもひと段落ついたころに、豊臣秀吉が有馬を訪れます。秀吉は長く続いた戦で疲れた心身を天下に名高い有馬の名湯で癒したとされています。これが歴史に残っている秀吉入湯の最初です。その後も秀吉は再三にわたって有馬を音連れ、復興に手を貸したとされています。1597年に大規模な改修工事が始まりましたが、惟男の直接的なきっかけは前年に近畿一円を襲った慶長伏見地震だとされています。建物の甚大な被害もそうですが、更なる問題はこの地震の影響で、有馬の湯が熱湯になってしまったということです。湯治効果を良く知っていた秀吉は英断をふるって有馬温泉の改修工事に取り組みます。

 秀吉の改修工事より350年間、有馬町は一度も泉源の改修工事を行っておらず、このときの秀吉の改修工事が後の有馬の繁栄の基礎になっていることが分かります。

 秀吉は地震の時に新しくできた温泉に湯山御殿を造り、工事が完成した1598年に入湯する予定でしたが、悪天候の為中止となります。その後間もなく病で床に伏し、この成果を見ることはなかったようです。

平成19年5月16日 有馬温泉月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】有馬の歴史 ”仁西と有馬温泉”

有馬温泉は、平安時代に六甲の山津波によって、一時さびれてしまいます。鎌倉時代になると、大和国(現在の奈良県)の僧である仁西によって復興されました。

 仁西は薬師如来を諸語する十二神将にちなんで12の坊を建設して有馬温泉を復興させます。この「坊」というのは本来は僧の宿舎のことを言うようです。有馬温泉には「○○坊」と旅館名が多くなっておりますが、これは室町時代中期に仁西の12坊にちなんで、一般の温泉宿に坊の名が採用されるようになっただけということです。寺院との直接の関係はないようです。

 先日ご紹介した行基、今日ご紹介しております仁西の二人の僧のおかげで、有馬温泉は一層有名になり、白河法皇、後白河法皇、藤原道長、藤原定家、豊臣秀吉、千利休、徳川秀忠など、多くの方々が湯治に訪れるようになり、和歌や散文の舞台にも登場するようになりました。

平成19年5月15日  有馬温泉月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】有馬温泉の歴史”行基上人と有馬温泉”

 舒明天皇と孝徳天皇の行幸で有名になった有馬温泉ですが、その後徐々に衰退に向かったようです。これを復興し、現在の有馬温泉の基礎を築いたのが名僧行基上人と言われております。

 行基上人は聖武天皇の信任があつく、主に池と作ったり、溝を掘ったり、橋を架け、お堂を築くことに力を注いだ高僧です。

 行基が大池を掘っていたときに出会った人に、「私は体の中に悪い腫れ物ができ、数年来苦しんでおります。聞いた話ですが、有馬の山の中には温泉があり、病気にたいそう効くそうです。どうか私をそこへ連れて行ってくれませんか。」と懇願されたそうです。哀れに感じた行基上人はその人の願いを叶えるために、有馬に連れて行くことになります。有馬に行く道中、様々な人の願いを叶えてやると、その人は不思議なことに金色輝く御仏の姿となり、有馬温泉を復興するようにと言って雲に乗ってはるかかなたへと飛び去ったという伝説が残っております。

行基は感嘆し、如法経を書写して泉底に埋め、等身大の薬師如来像を作り、お堂を建てて納めたといわれております。これは薬師如来が温泉を復興させ、行基上人に有馬温泉発展の基礎を築かせたとされており、行基上人がここにお堂を立てて以来、約370年間有馬は、国のような賑わいを見せたと伝えられております。

平安時代に入って、各種の文献にも散見されるようになり、多くの文人や天皇、また重臣達が有馬を訪れるようになりました。清少納言も訪れたようで、枕草子のなかで有馬の湯を書いております。つまりこの当時から有馬温泉は天下三大名湯として高い評価を受けていたということが分かります。

平成19年5月14日 有馬温泉月光園 門口

【有馬温泉月光園便り】六甲高山植物園“石楠花

【有馬温泉月光園便り】六甲高山植物園“石楠花(しゃくなげ)”が見頃です。

つい先日まで、五月のゴールデンウイークだった気がしますが、もう13日と月も半ばになってしまいました。梅雨の季節ももう目の前ですね。

ただいま、六甲高山植物園では石楠花(しゃくなげ)が見ごろです。
この石楠花は、道路の植え込みなどで良く見かける“つつじ”の仲間なのです。
子供の頃、つつじの花を摘んで蜜を吸ったりしていたのを覚えています。

今回、見頃の石楠花は日本のつつじの仲間で最も豪華な花をつける“ホンシャクナゲ”やかわいらしい花をつける“ヒメシャクナゲ”などです。
他にも、ちいさなスズランのような花を沢山つける“ドウダンツツジ”やスイス三名花の一つに数えられる“ゲンチアナ・アコーリス”(リンドウ科)なども見頃!

黒い花を咲かせる、“クロユリ”など、六甲山と言う高山だから見られる山岳地帯の珍しい花々も沢山咲いています。

六甲高山植物園へは、お車で約40分。
ロープウェイと六甲山上循環バスで約40分となっております。

自然豊かな六甲山で、日頃目にすることの出来ない高山植物を是非ご覧下さいませ。
その他、オルゴールミュージアムなど六甲山には魅力的な施設が沢山ありますよ!

《花言葉》
 ◆石楠花(しゃくなげ)…【威厳】【荘厳】【危険】/5月6日の誕生花

 ◆黒百合(クロユリ)…【恋】【呪い】/8月12日の誕生花《写真上》

 ◆ドウダンツツジ…【節制】【かわいい人】/4月14日の誕生花《写真下》

平成19年5月13日(日)
有馬温泉月光園 幸坂

— 店舗DATA —
六甲高山植物園
TEL:078-891-1247
住所:〒657-0101神戸市灘区六甲山町北六甲4512-150
◆スイス三名花とアルプスの花々フェア開催中。
◆園内に設置されたポイントの花で和歌を詠む「和歌の会」も行っております。