鴻朧館
游月山荘

有馬温泉 月光園便り

有馬温泉 月光園よりお得な情報をお伝えします。

【有馬温泉月光園便り】十八番のラムネ 〜三ノ宮、東遊園地

今日の月光園便りはラムネの発明者とも言われる、アレクサンダー・キャメロン・シムにまつわる話題です。

神戸三ノ宮の東遊園地にアレクサンダー・キャメロン・シムという人物の記念碑が建っています。
このアレクサンダー・キャメロン・シム、スコットランド出身の科学者であり薬剤師でもあります。
そしてラムネの発明者とされ、さらにはKR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)というスポーツ団体の設立者でもあります。
この記念碑も東遊園地の南隅、KR&ACの建物がかつてあった場所に建っています。

この記念碑のある東遊園地はルミナリエでもおなじみですね。
記念碑は公園の隅の一角を占めています。

シム氏がラムネを製造していたのは旧居留地18番地、今の三井商船ビルの北向かいになります。
そこから「十八番」という商品名のラムネが売り出されました。
そのためかつての神戸では、「十八番」や「シムの十八番」といえばラムネのことで通用したと言います。

この「十八番」のヒットによってシム氏がラムネの発明者とされることが多いのですが、どうも実際はラムネそのものの発明者ではなく日本で大きく普及させた人物、という方が正しいようです。
シム氏の会社、シム商会がラムネの製造販売を始めたのが明治17年。
ところがそれより以前の1865年(慶応元年)、長崎の藤瀬半兵衛という人物がレモン水=レモネードの製造を行っています。
このレモネードがなまってラムネの語源となりました。
ラムネの製造販売は明治5年、東京の千葉勝五郎という人物によって行われており、その発売の日とされる5月4日がラムネの日となっています。

そこからラムネの真の発明者は誰なのか、と調べてみたのですが今ひとつはっきりしません。
決定的な発明者と言える人物はいない、というのがどうも真相のようですね。
最初期の素朴なレモン水から始まり、そこに炭酸が加わりコルクで栓をし、そのコルクからビー玉(ラムネの中の玉はA玉と言います)で栓をするようになり、、とたくさんの技術革新によって現在のラムネが出来上がっています。
どの技術もラムネの成立には不可欠なもので、たくさんの「発明者」がいてもおかしくない状況ではあります。

このビー玉詰めのラムネ、特に日本で広く普及し、愛飲されてきた飲み物で、現在他の国で見かけることはあまりないようです。
海外の方には珍しいようで、私自身フロントで海外からのお客様に「どこでラムネが買えるのか教えて欲しい」と尋ねられたこともあります。

日本以外の各国では、ビー玉でなく王冠で栓をする技術が普及したため、ビー玉入りのビンは姿を消していきました。
ところが日本のラムネメーカーは零細企業が多く、設備投資をする余裕がなかったことから現在の形のラムネが残る原因となりました。
ただ2006年現在ラムネのビンを製造するメーカーはなく、100%リユースによってビンを使用しているそうです。
最近だんだんと目にすることが少なくなったラムネですが、日本の夏の風物詩として、ぜひ残って欲しいものですね。

平成18年11月18日(土) 有馬温泉月光園 奥平

神戸レガッタ&アスレチッククラブ
(写真下)
シム氏によって設立されたスポーツクラブで、ラグビー、サッカー、テニスやクリケットなどの他、国際交流事業などにも取り組んでいます。
関西在住の外国人を中心に幅広い活動が行われており、1870年設立の歴史を今に伝えています。

【有馬温泉月光園便り】穴場観光スポット 神戸元町、相楽園

今日の月光園便りは穴場観光スポット、相楽園のお話です。
JR元町駅、もしくは神戸市営地下鉄県庁前駅よりお越しいただけます。

相楽園の詳細

都心近くのオアシス、といった風情の相楽園。
敷地内には日本庭園や、北野から移築された異人館の旧ハッサム邸などいくつかの重要文化財があります。
年に何回かイベントが開催され、その中でも秋の菊花展が特に有名です。

先日、その菊花展を見に行ってきました。
神戸の中心部にありながら、とても緑豊かな日本庭園で心癒されるひと時を過ごすことができます。
園内には県内の各地の方が作った菊が並び、色とりどりの様々な菊の花を楽しめます。

菊花展は11月23日まで開催されています。
今週土曜日、18日には20:00まで夜間ライトアップも行われます。

この相楽園、地元神戸でもそんなに有名ではないんですが、中身は結構充実してます。
神戸観光の合間にふっとひと息つける、そんな感じのお勧めスポットです。

平成18年11月16日(木) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】神戸市中央区東雲通(しののめどおり)


ここのところ地名の起源の話を続けているので、さらに気になった話題をひとつ。

神戸市中央区に、東雲通と書いて「しののめどおり」と読む地名があります。
阪急春日野道駅のすぐ近所にある場所で、昔ながらの街並みを残した住宅街といった感じの地域です。
ネスカフェ、サントリーの自動販売機で100円販売に挑戦しているものがあったりして、なかなか興味深く散歩できます。
 東雲、というのもぱっと見では読めない地名ですが、昔の和歌などでよく使われていた言葉です。意味は明け方に東の空が明るくなる様子や、夜明けのことを言う場合もあります。
この「しののめ」のような読み方を熟字訓といいます。
2つ以上の漢字を訓読みするというもので、明日「あした」や、田舎「いなか」、果ては人鳥「ぺんぎん」なんてものもあります。
日本語を母語としない人が日本語を勉強するときのハードルになると同時に、日本語の奥深さを感じるものの一つでもありますね。

以前、漢字検定の勉強をしていた時に、この熟字訓が意外と難しかった覚えがあります。
漢字の読み方なんて余裕だろう、なんて思っていたら結構難しいものがあって、普段まず使わないような読み方も多くて戸惑いました。
 ちなみにこの東雲という言葉が使われた和歌としては、

     東雲のほがらほがらと明けゆけば おのがきぬぎぬなるぞ悲しき
     (意味:明け方になってしまって、着物を着て離れ離れになるのが悲しい)
     古今和歌集  読み人知らず

というものがあります。
地名ひとつ取ってみても、その語源を調べていくと本当に奥が深いと思います。
まだまだ調べていたいぐらいなのですが、明日はそろそろ別の話題をお届けできればと考えています。

   有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】大きな銀杏の木が色づいています

月光園のすぐそばにある駐車場に、とても大きな銀杏の木があります(写真上)。
高さはおおよそ10メートル強。
樹齢100年を越えているのでは、などという話があるぐらい風格を感じる大木です。

この大きな銀杏の木、毎年この写真のようにきれいな黄色に色づいてくれます。
もうこぼれ落ちそうなぐらいにたくさんの葉を付けていますね。
しばらくで葉が落ちる頃なのですが、一気に葉が散っていく様も美しいものです。
ただ、その後には游月山荘の駐車場に大量の葉っぱが残され、掃除が大変だったりもするのですが。

ちなみに植物としてのイチョウは1科1属1種、つまりは近い仲間がほとんどいない植物になります。
以前にご紹介した<u>レンゲショウマ</u>という植物は1属1種というものでしたが、それよりもさらに珍しく、生きた化石とも呼ばれるような存在です。
イチョウはジュラ紀を中心に栄えた裸子植物で、近い種類の仲間は全て氷河期で絶滅してしまっています。
今に残るイチョウは中国で生き残ったものが世界各地に持ち込まれたとされています。

下の写真は游月山荘の今日の紅葉の様子です。
各地より随分遅れているのですが、かなり色づいています。
もうしばらく紅葉を楽しみたいところですが、どうも明日にお天気が崩れるようです。
銀杏も紅葉も雨が降ると散ってしまうだけに、もう少しお天気が続いて欲しいところです。

今が見ごろの月光園の秋色をご覧に、ぜひぜひ有馬までお越し下さいませ。

平成18年11月13日(月) 有馬温泉月光園 奥平

【有馬温泉月光園便り】神戸の難読地名 唐櫃(からと)


今日の月光園便りは神戸市北区の難読地名、唐櫃(からと)の話題です。

唐櫃というのは有馬温泉からも近く、神戸電鉄なら

有馬温泉 > 有馬口 > 唐櫃

と2駅で行くことができます。

唐櫃駅を電車で通るたびに変わった地名だなあと思っていたのですが、実はかなり歴史のある土地です。
唐櫃の地名の起源なのですが、神功皇后に縁のある名前とされています。

神功皇后が朝鮮遠征から帰還する途中、この村の地下に金の鶏を石の唐櫃(からびつ)に入れて埋めたという伝説があります。
もし村に何かあったときにはその唐櫃を掘り起こすように命じたことから、唐櫃の名前がついたといいます。
昨日ご紹介した六甲山の地名の起源の話でも神功皇后が登場するものがありましたが、何かしら伝説的なことによく登場するようですね。

神戸市北区は神戸の中では、北神ニュータウンのイメージが強く、新しい町というイメージがあります。
ですが、あまり歴史がないように見えて案外歴史のある地域です。
これからは有馬の歴史だけでなく、北区の歴史もご紹介できればと思います。

平成18年11月12日(日) 有馬温泉 月光園 奥平