有馬温泉の湯女(ゆな)
本日、温泉学会主催の勉強会が「有馬ビューホテル うらら」さんで開催され、私も参加してまいりました。
有馬温泉で勤務し、早うん十年となりますが、まだまだ知らないことがたくさんあると痛感いたしました。
その中でも、すごく興味深かった話がありましたので少しご紹介させていただきます。
それは「有馬温泉の湯女(ゆな)」についてです。
“おんなゆ”っぽいのですが“ゆな”と読みます。
一般的な湯女とは、丁度今放送されている、堤幸彦監督「神の舌を持つ男」で向井理さんが演じる「三助」の前進だったとされます。どちらかというと女郎のようなイメージです。
三助とは「釜焚き」「湯加減の調整」「番台業務」の三つの役を助けたことに由来するようで、男性です。
湯女は女性でしたが、ある時から男性の仕事に変わったようです。
ご興味がある方はこちらをどうぞ>>>
ですが、有馬温泉の湯女は全く違った存在でありました。
有馬温泉は当時から非常に有名な温泉地であったにも関わらず、379cm×636cmの湯船を2つに仕切った
「一之湯」と「二之湯」の2つしかなくそれぞれに10の宿が割り振られていたようです。
すごく狭いうえ、利用者は多かったようですね。
余談ですが、このころの温泉は「混浴」で狭さのせいで「立って入っていた」様です。
とてもゆっくりできる雰囲気じゃあないですね。
それでも、人気が非常にあったようです。
そのため、入浴時間の制限は非常に厳しかったようです。
そこで登場するのが有馬温泉独特の「湯女」です。
棒を持った湯女は、出るのが遅いお客様がいると、戸口を叩いて急かしていたそうです。
各宿には「大湯女(50才前後)」と「小湯女(12~23才くらい)」がいて、温泉の予約から時間管理などを行い「有馬湯でもつ、湯は湯女でもつ」と言われるほどの存在であったようです。
大湯女は「かか湯女」とも呼ばれ、お客様からは「○○坊のかか」など、宿名+かかと呼ばれていたようです。
小湯女は「娘湯女」とも呼ばれ、各宿ごとに通り名が決まっていたようです。人が変わってもその通り名を引き継いでいたそうです。
■ご参考まで・・・
≪一の湯小湯女の通り名≫
御所坊:まき/奥の坊:なつ/伊勢屋:たけ/中の坊:つね/尼崎坊:ゆり/ねぎや:すぎ/大門:たつ/角の坊:つた/上大坊:くり/若狭屋:いち
≪二の湯小湯女の通り名≫
池の坊:まつ/下大坊:なべ→しげ/休所:たけ/川崎屋:やや/茅の坊:きい/川野屋:みつ/大黒屋:たけ/素麺屋:ふじ/兵衛:みや/水船:つじ
※御所坊さんや、兵衛さんなど今でも旅館を続けておられますね!すごいです!!
若狭屋さんは、現在はお土産屋さんですが、確かに建物の造りは旅館ぽいですね。
そして、この「小湯女」は現在のアイドル的存在で、当時は浮世絵がお土産屋さんで販売されていたようです。
「岡本昌房」作の「有馬湯女の浮世絵」は、萩美術館や大英博物館などに現存しているようです。
その後、湯女は温泉の時間管理より、宿の宴席での踊りなどの仕事のほうが多くなっていったようです。
現在の芸妓さんのような役割ですね。
当時の有馬温泉を思い描くと、非常に賑やかで活気のある温泉地で、何より楽しそうですね。
そんな、先人たちに負けないよう、私たちも頑張ってまいります!
有馬温泉月光園 幸坂
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